映画「グラン・トリノ」の根にあるのは、やはり戦争を発端とする移民問題なのかと

映画「グラン・トリノ」の根にあるのは、やはり戦争を発端とする移民問題なのかと

さて、今回は映画レビュー。
いろいろと考えさせられる映画でしたね…。

2008年 アメリカ
監督:クリント・イーストウッド

キャスト
ウォルト・コワルスキー:クリント・イーストウッド
タオ・ロー:ビー・ヴァン
スー・ロー:アーニー・ハー
ヤノビッチ神父:クリストファー・カーリー



あらすじ

舞台はミシガン州デトロイト。かつては自動車産業で栄えた都市だが、今や日本車の台頭で登場人物のほとんどはトヨタやホンダといった日本車に乗っている。
また、東洋人やラテン系の移民も多く、ギャングの多い治安の悪い都市となっている。

物語はポーランド系米国人ウォルト・コワルスキーが、妻を亡くし葬儀を執り行うところから始まる。
朝鮮戦争への出兵経験もあり、偏屈で頑固者のため息子やその家族からも煙たがられる存在で、フォードの自動車工として長年勤めあげ、愛車のグラン・トリノを誇りにしており、メンテナンスは欠かさない。
妻に先立たれたため、愛犬のデイジーと一緒に暮らし、退役軍人バーや床屋などで友人と悪態をつき合う日々であり、亡き妻の頼った神父も毛嫌いする日々。
ある日、彼の家に、ギャングに脅かされ、グラン・トリノを盗むよう指示された隣の家の少年タオが忍び込むが、コワルスキーの構えた銃の前に逃げる。
しかし、タオが母親と姉のスーとともに謝罪に訪れてからウォルトとタオの交流が始まるのであった。

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感想

簡単に言うと、偏屈な頑固じいさんが近所に住む少数民族と付き合い、彼らを理解し、尊敬しあう関係になるという映画。
過去に観た映画で、性格の悪い男が、一人の少年と出会い、性格が良くなっていく…みたいな似たような構造の映画を観たことがあったなーと考えて、行きついたのは「セブン・イヤーズ・イン・チベット」のブラッド・ピットが演じる主役がそんなだったなーと。

あの映画の場合は、主役の男が戦争の捕虜となって、チベットに逃げ込んで若かりしダライ・ラマ14世と交流するわけですが、この「グラン・トリノ」では、アメリカの市街地にタイやラオスの少数民族の「モン族」が住んでいて交流するといった感じです。

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色んな意味で戦争が引き起こした二次弊害が…

主役のクリント・イーストウッド演じるウォルトも純粋なアメリカ人というわけではなく、ポーランド系のアメリカ人、行きつけの床屋のおやじもイタリア系、知り合いの建築現場の監督のアイルランド系…といった感じで、まぁアメリカってそういう国だとは思うんですが登場人物はいわゆるWASPは登場せず、移民ばっかです。

序盤でモン族のストリートギャングとメキシコ系のストリートギャングが車に乗って銃を突きつけ合うシーンがあり、お互いに罵り合うわけですが、西洋人からしたら黄色人種は同じに見えるんだなーというやりとりがあります。

モン族ギャング「メキシコに帰れ」

メキシコ系ギャング「よく言うぜ、アジアの米食い野郎ども」

モン族ギャング「お前らは俺たちをみんな同じだと思ってるんだろ!」

つまり、ウォルトも同じようにモン族は黄色人種という括りで同じように見えているのだと思います。
あらすじでも書いたようにウォルトは朝鮮戦争に出兵しており、そこで朝鮮人の若者を殺したということをトラウマとして背負っているため、隣のタオ少年が自分の殺した朝鮮の若者に対する罪の意識を呼び起こさせるのかと思います。

終盤でウォルトが自分の勲章をタオに譲るのも、多くの東洋人の命を奪ったことで得た地位や名誉を誇りに思っているわけではなく、ずっと罪の意識に苛まれていたものを同じ東洋人に返すことで少しでも罪の償いをしたいということなのかと思いました。
教会の懺悔室のシーンのあとにタオと金網越しで話をするのも懺悔室と同じシチュエーションで教会では話せなかったウォルトの本当の懺悔を表現する演出なのかと感じました。

戦争って殺された方や迫害された側はもちろん、殺した側の人間にとっても決して忘れることのないトラウマを背負うことになるんでしょうね…。

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モン族ってこんな民族

モン族というのは、第一次・第二次インドシナ戦争でフランス・アメリカに協力し、ベトナム戦争でアメリカが負けた際にトカゲのしっぽ切りよろしく見捨てられ、ベトナム軍、ラオスの社会主義勢力に大量虐殺され、残った者が命からがらアメリカに亡命したという部族らしいです。

Wikipedeiaにもモン族について書かれています。

モン族の「モン」は自称であり、モン語で「(自由な)人」・「我々」・「自由」といった意味がある[8]。「白モン」「花モン」など民族衣装の色調に基づいて類別された呼称は他の民族が付けた他称であり、タイでの呼称「メオ(Meo)」はモン族からは蔑称として捉えられている[8]。

アニミズム・シャーマニズムを信仰し、クロスステッチを多用した民族衣装が著名である[8]。モン族全体で漢族に似た30ほどの姓があり、1つの村は1から10種類の姓の父系出自集団によって構成される。家族形態は核家族または既婚の息子家族が同居する拡大家族であり、一夫多妻婚やレヴィレート婚も存在する。

引用:Wikipedia「モン族」より抜粋

映画内では伝統を重んじるモン族の習性として、劇中で登場するタオの姉 スーが次のように紹介していました。

1.頭に魂が宿ると考えているので、子どもであっても頭を触ってはいけない
2.目を合わせることは失礼と考えているので、目が合いそうになると顔を伏せる
3.声を荒げて何かを言われるとニヤニヤする人もいるが、それは馬鹿にしているわけではなく困惑や不安の表情である

これを知ったうえで、見直すと序盤でストリートギャングに絡まれたモン族のタオがニヤニャしていたのが理解できます。
最初、なんでこの人笑ってるんだろ?と思ってたわけですが。

また、スーの語る「モン族の女はこの国に適応して大学まで行くけど、男は適応できず刑務所に行く」というのがなんとも哀しい実情。
戦争が無ければアメリカに移民として来ることもなかっただろうし、ギャングになることもなかったのかも…。
ちなみに、実際にアメリカではモン族のストリートギャング「Menace of Destruction」なる集団が存在しているようで。

そういった意味でも、この映画ではまだまだ戦争の爪痕が根深く刻まれていることを思い知らされます。

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命と引き替えにタオ一家を救うウォルト

ここからはネタバレになりますが…

ギャングを脅し、タオに近づかないよう警告をするウォルトだったが、これが逆にギャングを刺激してしまいタオの家はマシンガンで撃たれ家はハチの巣状態。
スーはギャングに襲われ、辱めを受け顔も血まみれ痣だらけという状態。

自責の念に苛まれるウォルトは、この事態に決着をつける策を考える。
病に冒され、残りの少ない人生をただ過ごすのではなく、その命をギャングに差し出すことで一家を救う…。
覚悟を決め、作戦を実行する前にすべてのことを終わらせるウォルト。
友人に最後の挨拶、何年も行っていない教会での懺悔、愛犬の今後のこと、スーツを誂え(喪服なのか?)、遺書を残す…。

あえて銃を持たずギャングを刺激し、銃を持っているかのようなそぶりを見せ撃たせることで長期刑になるように謀るという、本当に読んで字のごとく、捨て身の作戦で一家を救うという行動に、ウォルトの朝鮮戦争での己の行為・過ちへの贖罪的なものが感じられました。

なんだか最初は悪態つきまくりで決していい人ではなかったウォルトが、最後にはとてもいい人で近所のモン族からは慕われる存在となっているのが印象的でした。(言葉遣いは最悪級ですけどねwスラング使いまくりです)

ラストはタオがウォルトから譲り受けたグラン・トリノにウォルトの愛犬デイジーと一緒に海岸線をドライブしてエンドロールが流れるというシーンで幕を閉じます。
「泣ける映画」みたいな感じで紹介されていたのですが、自分的には泣ける云々の前に、戦争が与える影響について考えてしまう映画でした。広義的に考えて戦争映画とも言える映画ではないかなと。おすすめです。

私的評価:★★★★☆

イラストについて

単純に映画のタイトルにもなっている「グラン・トリノ」を描いてみました。

フォードの自動車工のウォルトと対照的に日本車のセールスマンでトヨタのランドクルーザーに乗る息子。
モン族ギャングはホンダのシビックに乗ってたりするわけですが、日本人から見ても70年代のフォード「グラン・トリノ」はカッコいい車です。
タイトルこそグラン・トリノですが、ウォルトは普段はボロいフォードのトラックを乗り回してて、ウォルトがグラン・トリノを乗るシーンは一切出てこないんですけどねw

最初に人がグラン・トリノに乗るシーンはウォルトが殺された現場にタオ、スー姉弟が乗って来るシーンですからね…。

グラン・トリノがかっこよかったので描きたかった、それだけです。

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